甘やかされた育ったのか

「感情的になる人、忍耐力の無い人。

それらは他人との境界線を引けていないことが原因だ。

普通、他者との境界は親との関わりの中で知っていく。

感情的で変にプライドの高い人は、そこで学ぶ機会がなかったのだろう。

甘やかされて、他人が自分の思いどおりになると思っているのだろう」

 

今日、なんだか自分の奥深くに刺さってしまった言葉。

違うといいたい、違う部分もある、でも正しい、けど認められない。

 

 

うーん……

「他人が自分の思いどおりになる」って思い込みは、甘やかしというより、どちらかといえば過干渉を受けて不自由を味わった人が陥るものだと思う。成熟した人は、言葉を通して相手に伝え、相手からは言葉だけでなく態度から情報を受け取って、互いの意見を擦り合わせていくイメージ。でも過干渉は、大概不機嫌や暴力とか、攻撃的な方法でコントロールする。それを受けて生きてきた人は、自分の気持ちを伝える方法を頭で理解出来ていたとしても、言葉よりも先に慣れ親しんだ攻撃的な方法が出てしまうのではないか。だって、そっちのほうが手っ取り早いしめんどくさくないし。相手が譲歩してくれたら、自分の要求が100%通るし、こんな楽なことはない。でも、それは大人のやり方じゃないんだな。

 

 

「甘やかす」は、いたずらの度が過ぎてるのに見過ごすとか、あまりにもだらしなさすぎて将来困るだろうなっていう行為を咎めないとか、そういうことで、子供の未熟さを否定することではないと、ぼんやり思った。

私は、もっと悪い部分は「良くないよ」って叱って欲しかったし、遊びとか部活とかファッションとかのどうでもいい部分は放置して欲しかった。20過ぎの女にヒールやメイクを禁止するのはクレイジーだよ。

 

いけない、文句になってしまった。

 

 

実は、冒頭に挙げた言葉が刺さったのは、自分の未熟さに首を絞められているからです。

自分の思いどおりにならなくて、苦しい。

先生が、学会に行く下級生には沢山ディスカッションの時間を割いているのに、私には「これはひどい」「もっと調べて」とかぼやっとした指示しかくれなくて、全然構ってくれなくて、寂しくて、嫉妬して、散々だった。

私だって頑張ってるのに!私のことも見てよ!みたいな、すごいガキみたいな幼い感情で、ダサいって分かってても抑えられなくて、でもそれは「他者との境界を引けていないこと」「自分の中の優先順位をつけられていないこと」「相手が思いどおりになると思っていること」に起因するのだと気づいて益々苦しかった。

結局父に電話して、道端で泣きわめいて、途中同級生が通って、いま振り返ると死にたくなる。

「まるは、マルチーズだとして。マルチーズはシェパードと戦う必要はないでしょう。戦えるに越したことはないけど、向かっていくよりもやり過ごす方法を考えるほうがいいでしょ」

その通りで、本当にその通りで、励ましてくれて有難くて、死なずに済んだ。私は研究者になれなかったのだから、卒論と戦う必要はなくて、とりあえず書いて先生から判子を貰えればいいのだ。だけど研究者になりたかった亡霊がまだいて「成果を出して認められたい」って未練がましく襲ってくる。私はメンヘラのかわいくないマルチーズだけど、シェパードと闘えるようになりたかった。

 

 

ああ、また同じ失敗。1年程度じゃ変われないか。明日からまた頑張ります。