愚痴

ツイッターで日常アカをたくさんフォローしている。その中に、彼氏との話や、仕事のこと、家族のことを淡々と呟いている人がいる。その人にすごくすごく嫉妬してしまう。今日は記念日だったから、映画を見て花束を買って貰ったんだって。そのツイートを見て思ったのが「ずるい」。なんであなたは、そんな素敵な彼氏がいて、そんな素敵なプレゼントもらって。「ずるい、ずるい」って思っちゃった。

読み返すと恥ずかしい。「ずるい」は幼い感情だと思う。でも、これは私の素直な感想。羨ましくて、憧れる。そんな世界がほしい。

恋愛依存症の本に「恋愛は、落ち込みやすい気質を持つ人にとって抗うつ剤と同じ効果をもたらす」と書いてあった。深く頷いた。人生楽しいって初めて思ったもんな。

抗うつ薬飲んでも毎日は楽しくならない。今の私じゃ魅力的な人を引き寄せられない。新しい抗うつ剤を見つけにいかなければそのうち死を選びそうな気がする。

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立ち止まって、振り返って、

私は何に対して苛立ってるかと言われれば、まず家族や友人や恋人、はたまた同期や後輩、先生、それに加えて就活のグループディスカッションで同じ組だった人。ありとあらゆる他人に対して苛立ってる。

でもね、本当に?本当にそんなに沢山の人達が嫌いなの?と確認してみると、本当の問題は他人じゃない。私が、私のことを嫌っていて見下している。人間関係は鏡だと言うけど、その通りだと思う。自分の器の小ささが気になると、他人をこき下ろすようになる。嫌だなあ、ボロボロのくせに、ハリネズミみたいにトゲトゲした私。

結局、誰かに愛されたかった。今日友達と「付き合うなら、結婚するなら、器の大きい人がいい」という話をした。ボロボロの私を受け入れてくれる優しい人がいい。でも、今の私じゃ足りない。それが苦しい。

 https://signof.me/ch/saering/entry/348817

ブルベリーパイは美味しい。ただ選ばれないだけ。

私は選ばれない生き方を受け入れるべきだと思った。それこそ、幸せになる近道だと。

でもそうはなれないと、薄々気づいている。「誰かに選ばれたい」「必要とされたい」

選ばれるために、足りないものが沢山ある。私はそれを変えなければ。

変えたら、自分のこと好きになれる?幸せに生きたいよ。

日記

今日で日記を始めてから1年なんだって。はてなからメールが届いた。惰性にしろ、何にしろ、断続的でも続けられているのは良いことである、と思った。たぶん良いんだ。

 

今日は試験があった。問題がそれほど難しくなかったから首の皮一枚繋がった。以降も試験が続くので頑張ろう。

帰りに、同じ大学の男の子にたまたま会った。私が一方的に気に入っている人。話しかけられたものだから、舞い上がってしまって、帰りの電車でもご機嫌だった。

やっぱり、根っからのアイドル好きなんだなあと思う。遠くから眺めて、キャーキャーしているだけで幸せなんだから。恋愛にそれを持ち込んじゃだめだと思う。ときめくのと、一緒に生きる人は別だよ、たぶん。

私の自己肯定感の無さを補ってくれて、不安を受け止めてくれて、さらに高い位置まで引っ張りあげてくれる人なんて。私は自分の力で人生を切り開かなければならないのだよ。ずーっと葛藤してるけどね。理想と現実の間で。

最近、彼の卑屈さや、他人との関係を順位付けする癖、下に見た者を貶める発言にへきへきしている。比べることは悪ではないから、自分を向上させるために利用してほしい。ただ下の者を見て安心して、上の人を見て卑屈になるだけでは、いつか潰れてしまう。かつての、というか、その考えから脱却しようともがいている最中の私が言うのもおかしいかもしれないけれど。私とだぶるから、嫌な面だと思ってしまうし、離れられない原因だ。だってここで見捨てたら、あの人が離れていった後の私のようになってしまうんじゃないか。ボロボロの、生きてていいのかすら分かんなくなってしまった私。それほど痛い目に合わなければ、自分と向き合えなかった私。

 

話がとっ散らかってしまった。私はテストに悩んでる、彼との関係に少し疲れている。

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私は飼っている犬のことをとても尊敬している。それは、犬がけっこう自立しているから。だいたいいつもご機嫌で(これが大事!)、撫でると喜ぶ。お留守番も、ちょっと寂しそうにしながらも、きちんと出来る。何か訴えたいことがある時は、ストレートに伝えてくる。

きっと、この当たりに重要な要素が含まれているんだろう。

私も飼い犬のような素直さと心の余裕を、いつも持っていたい。

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物事の解釈

事実は事実だけである。そこにどう解釈を加えて受け止めるかによって、生きやすさは変わると思う。

 

大事な試験前でストレスのかかる時期だから、それに引っ張られて悲しい思い出が出てきてしまった。

 

もう二度とあんな思いはしたくないから、人を遠ざけがちだ。そのくせ、誰かに甘えようとする。恐れ-回避型の悪い傾向。

もう二度とあんな思いをしないように、自分の世話ぐらい自分でしなきゃ。

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夢はお金で買えない

彼氏に依存しない。友達に依存しない。先輩に依存しない。後輩に依存しない。親に依存しない。先生に依存しない。ペットに依存しない。とにかく、身近な生きているものに依存してはいけない。自分のためでもあり、相手のためである。

痛い目にあってからようやく気づいた。身近な生きている人に、べったり依存してはだめだと。だから、趣味とか始めてみたけど、スポーツも手芸もそこまで夢中になれなかった。でも、人付き合い以外にすることがあるというのはいいものだね。最近やっとそう思えるようになったよ。やっぱり恋愛が最高だと思ってしまうし恋愛以外のことで恋愛と同じくらいの喜びを得るのは難しい、でも選択肢が増えたような気がする。足場を増やすのは大切だ。

楽しいことはお金で買える(こともある)。アイドルなんかがそう。辛い時期に少し引き上げてくれた、楽しい時期を彩ってくれた。熱狂的なファンではないけど、アイドルの存在はすごいと思う。多分、私はクソみたいな日常を自分の力では変えることができなかったから、アイドルに自己投影していたのね。アイドルに夢を見させてもらっていた。夢をお金で買っていた。

アイドルの結婚についてなんて語るまいと思っても、ジリジリ胸が痛むのは。夢をお金で買えると思っていた。でもアイドルだって人間だ。突然好きな人ができて結婚しちゃうかもしれない。夢はそこで終わる。「勝手に夢を見てたんでしょ」。そうね、勝手だったのかも。アイドルすら、夢でいてくれない。

夢を見ることに酔っていた。現実が怖かった。何か裏切らない、キラキラしたものがあるのだと思っていた。

ならば、せめて、なにが起きても「まあ、そういうこともあるよね」なんて受け流せるような強い人になりたい。夢見ることに絶望してるんじゃなくて、達観した人に。

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「他人を思いやりなさい」とは習った

そういえば、小学校の道徳の時間に「他人を思いやりなさい」とは習ったけど「自分を大切にしなさい」とは習わなかった気がする。忘れてるだけかな。他人を思いやるとか、大切にするとか、そんなことは友達と遊ぶ中で学ぶのに。押し付けられるものではない。それよりも、「自分が痛めつけられていないか」とかそういうことを知りたかった。そういう知識を、幼い自分に与えてあげたかった。自分のことを疎かにしてまで、他人を助けようとしなくていい、そう伝えたい。道徳の教科書は誰が作っているのだろう。きっと、学生時代を順調に過ごしてきた人には作れない。いじめや虐待、そこまでいかなくても苦しんだ人、そういう小さい頃にドロドロの苦いぬかるみにはまって泥水を飲んだような人じゃないと作れないものがあると思う。

セルフネグレクトなんて言葉を最近知った。自分を無視する虐待行為。お洒落することは悪い事だと思ってたけど、それは自分で自分をいじめていたのかもしれない。今もヒールを買おうとすると、後ろめたい気持ちになるのはなぜだろう。誰の支配も受けない、自分で自分のことを世話する、ということは自分で責任をおうということ。私は責任を負えるほど成熟していないのだと思う。支配を受けて、「なんで私ばかり」なんて被害者面して不満タラタラで、でも責任を負わなくていという状況の、甘さを知っている。だからか。

来年はどんなに嫌がったってどこか知らない地方に行く。自分の世話をするのは自分。いつまでも被害者面していちゃだめだ。