嫉妬

婚活と就活は似ているそうで。

志望動機でいうと、「私は〇〇に興味がある/〇〇したい」→「それができるのは御社だけ」→「御社で私のキャリアビジョンを全うしたい」みたいなテンプレあるじゃん。

御社大好き!ここが好き!だけじゃだめなんだってさ。

婚活も同じなのかなあ。将来、結婚する人は、同じ気質を持って同じ方向を向いている人がいいのだろうか。

 

 

恋愛が上手くいっている、かつての親友と溝ができてしまった。私が嫉妬を隠せなかったのもあるし、彼女は安定した基盤を土台に、高い所へ行ってしまった気がする。

さよなら友達。恋人の条件について話し合ったあの時間はとても楽しかった。

 

 

振り返れば後悔ばかりだ。思い出はいつも美しい。戻らない過去を美化して、いつだって今を生きていない。遅刻は日常茶飯事、些細な約束も守れない。

「こんな私を愛してくれる人を大切にしなきゃ」確かにそうかもしれない、でも「こんな私」を「愛してくれる」恋人に、私の存在意義を求めてはいけない、絶対に。

 

結局、私の人生には、誰かに愛されて世界が輝き始めるなんてストーリーは登場しない。地道な努力の先に、平穏が待っている。ただそれだけでいいじゃないか。

 

とりあえず就職先を見つけたい。愛し愛される話を考えるのは、その後でも十分です。

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過保護沼にいる彼氏

過保護をテーマにしたドラマが評判らしい。私はまだ見ることができていない。CMで見た主人公の喋り方とか、「カホコの好きにさせてよ!!」っていう癇癪とか、自分に被りすぎて、見るのが辛そう。

 

今週、1ヵ月以上ぶりに彼氏とデートした。その時の行動や言動の端々から「彼は過保護に大切に育てられたのだろうな」と思った。つまりは私と同じ。

例えば、「何かしてもらって当たり前」なところ。屋台で焼きそばを買って、そのまま食べて、食べ終わってから「ゴミ箱ないかな〜」って探し始める。こういうの、お母さんがいつもやってくれていたのだろうね。私がゴミ袋を差し出すと、当たり前のようにその中にゴミを入れて、お礼もなかった。手を汚してしまったらしく、でもウェットティッシュとかハンカチを持っていなかったから何も出来なかったみたいで、やっぱりこういうのもいつもお母さんがやっていてくれてたのだろうね。ウェットティッシュを差し出したらやはり当たり前のように(以下略。お礼も無かった。

 

電車に乗った時も、荷物を持ってくれるとかは期待はしないけど、席が一つ空いてたら「座る?」ぐらい聞こうよ。私が「座る?」って聞いたら「いや、俺はいいよ」って、それだけ。おいおい、私は座りたいんだよ!!気使えよ!!!黙って寝るな!!!!

 

そのくせお母さんに対して不満たらたらなんだよ。「全部俺のやることに反対する」って。その辛さは分かるよ。私も過保護沼出身だから。削られるよね、自分のやりたいことなんて分からなくなるよね。  

でもさ、「家事やってる?」「やってない」それじゃだめだよ!辛いなら、自立する練習を自分でしていかなきゃ!!!ずーっとその沼で支配のぬるま湯につかって生きていくのか?

 

「夏、旅行に行きたい場所ある?」「あー、旅行いいね」じゃないよ、当事者意識を持ってよ。

 

そのくせ卑屈で、他人を見下してさ。

 

誕生日だったけど、プレゼントはなかった。デートの場所も私が全部決めた。彼にとっては「私の希望に付き合ってやった」ぐらいの気持ちなのだと思う。

指示は聞いてくれる、でも自分から動こうとはしない。自分の世話もできない。それでいてお母さんの不満を言う。

 

冷めてきている。お互いもう無理なんだと思う。それでいいじゃん、無理矢理延命するほうがお互い不幸だよ。

 

 

なんで私も付き合ってる人のことこんなに悪く書いているのか。1年前の私にそっくりで、ああいう言動と行動を繰り返して当時の彼に愛想尽かされたから。私とダブるから。

1人では生きていけないくせに、他人の弱さを受け入れられない。子供なのだ、私も彼も。似たもの同士なのだ。だから嫌でも離れられなくなっている。

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悲しい

気持ちが抑えられなくなってしまった。ふと見たツイートで「彼氏と別れてから仕事も何もかも全てが上手くいってる」ということに、私がダブって見えた。私は振られたほう、幸せになったのは彼のほう。

 

よく、「男なんて星の数ほどいる。彼だけだ!なんて視野を狭めるな」なんて言うけど、私には彼しかいなかった。まともに喋れなくて、友達なんていなかった。彼と付き合ってしばらくして、抑えていた「寂しい」という気持ちが噴き出して、止まらなくなってしまった。孤独だった私が悪い。何も変えようとしなかった私が悪い。そんなの、何度も何度も繰り返し反省した。

 

薬を飲んで、いまは比較的穏やかに過ごすことができる。誰かに深入りすることも少ない、その代わり、広く浅く付き合う人が増えた。就活で色々な人と話す練習を積めたことも良かった。

 

大丈夫、私は変われる。いつかは分からないけど、幸せになる。

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変われるかなあ

卒業写真の前撮りをした。

最後にきちんと撮ったのは成人式の時。20歳の、責任感もなくて、今よりもっと人間関係に困っていて、あと4年続く学生生活に絶望していて、退屈していた私。でも笑顔はとても朗らかだったから、なんだかんだ幸せだったのだと思う。あの時から見た今の私はどうなんだろう?あの時考えていた24歳より、どう見える?私は、あの時考えていたよりも苦労してるよ、でも人間関係は不器用なままだよ。ずっと好きだった人と付き合ったけど、上手くいかなかった。でもね、すぐ好きな人を見つけたよ。あの頃の私が「絶対これだけは無いわ」と思っていた職を求めて就活してるよ。どう、びっくりする?それとも、さほど代わり映えないかしら。もっともっと変わっていて欲しかったかしら。

 

顔がね、すごく老けていてね。髪型を失敗したよ。でも別にいいよ。

 

 

一昨日、第一志望の一つだったところから不合格通知が来た。やっぱり、うん、残念だった。「必要とされる場所に行きたい」けれど「『上』と呼ばれる仕事に就きたい」も大きくて、私、残念な気持ちだよね。自分のことを大切にしたいけど、「どうして」みたいな、私はやっぱり能力ないのか、幸せになれないのか、とかそんなことばかり考えていた。

でもさ、「今の能力で勝負しようとするから上手くいかない。大切なのは、目標に向かって努力を継続すること。能力とかけ離れた夢を見て失望するのではなく、どれだけ成長したかに注目する」「努力することを目標にしない。必ず息切れするから。努力は幸せになるための手段」とか、そういう言葉を思い出すようにしているよ。

これはある人のLINE@の言葉なんだけどね。事業者であり、自己啓発本のようなことを言ってくれる。楽しくて、見ているとモチベーションが上がる人。出会えてよかった。

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四半世紀

今月末に25歳になる。

小学二年生で作った「将来の自分年表」によると、私は24で結婚して、26歳で子供を産んでいるはず。結婚どころか、まだ学生なんですけどね。「25歳 大学生」の字面のパンチ力。

昨日はトウモロコシを食べた。今まで話せなかった子と話す機会があった。2次試験の合格通知が来た。次で最終。

私はまだまだやれると思う。大丈夫だと思う。だから自分で見捨てちゃだめだよ。

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服を買った。今流行っているトップスは、袖と体の部分がふんわり膨らんでるやつと、総レースのやつと、オフショルの3種類と思った。私は肩幅ガンダムなので、全体的にふんわりしてるやつは膨張してしまうし、総レースとオフショルのやつは無駄にセクシャルになる。今期は選びにくいな、とほほ。

先入観を捨てて、とにかく試着しまくった。首が詰まったトップスは意外といける。ワイドパンツはけっこう似合う。なんだ、選択肢あるじゃん。

さらに、下着も新調。ユニクロの色気のないやつだけど。

そんなこんなで、楽しくお買い物ができました。

 

余談ですが、誰かと付き合うということも、初めから合わないと決めつけずに、色々な人と広く付き合うべきなのだな、と。試着して合う合わないとか、何を求めているかがはっきり分かる。それと同じなのでは、と。数を増やさないくせに、不満たらたらで「もういい、どうせ一人で生きてくんだし」とかひねくれる前に、出来ることはあるんだよ。って。

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愚痴

2週間前ぐらいにTwitterの愚痴用アカウントを削除した。特に不便は感じなくて、むしろTwitterと距離を置くことができてよかったと思う。気づいたらネット依存になっている。ネットのことでイライラし始めたら終わり、とよく言われるけど、まあイライラしたら距離を置けばいいんだよね。ネットはそれが出来るから最高。

 

大学入りたての頃は、「もっと人間関係で揉まれなくちゃ」って思って、色々なサークルに顔を出していた。結果はお察し()なんだけど、あの時の気持ちは間違ってなかった。そう気付けて実行したのは悪くなかったと思う。あのおかけで、今も仲良くできる先輩と出会えた。

親密さを避けることを続けていた。親密にならなかったから、高校の友達とはなんだかんだ、距離をとりながら続いている。ふた月に1回ぐらい会う子、半年に1回グループで会う子たち。大学の人とは、仲良くなってはぶった切ったりぶった切られたりを繰り返して、いまはひとりぼっち。彼氏もいなくなったな。バイトという居場所も最高に惨めな形で失った。

思うに。「神様は、私達が行いを改めない限り、何度も同じ試練を課す」という。私は喋れないことを理由にして親密さを避けていた。一方、ひとりぼっちじゃ居られないから、傍にいてくれる優しい人への期待値が上がってというか、重くなって、勝手に裏切られた気分になって、関係を壊すことを繰り返した。

私がこれからできることは?

・薬でも生活習慣でも、とにかく心身の健康を保つための努力を怠らないこと

・広く人と関わること。特定の人に依存しない。

・人としての礼儀を忘れない。約束を守る(特に時間)

 

誰かのために何かできたらいいけど、そんな余裕は私にまだなくて、むしろ悪影響すら与えてしまう。自分を幸せにすることだけに集中できる環境なのだから、それをやる。

 

一気に書き出したら、なんだかまだまだやれる気がしてきた。

今日はすごく辛かった。惨めな思い出に襲われて死にそうだった。

神様、私にお与えください。変えられないものを受け入れる強さを、変えられるものを変える強さを、そしてこの二つを見分ける賢さを。

なんてね。

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